墨田区
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江戸時代に花開いた町人文化の結晶!真夏の向島百花園を歩く

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真夏の向島百花園を歩きました。ウメやハギの見頃ではありませんが、見応え十分の庭園を満喫することができました。

向島百花園ってどんなところ?

江戸時代後期、寛政の改革が終わり、庶民が平和で豊潤な生活を享受するようになった文化・文政の両時期に花開いた化政文化。裕福な町人が中心となって広まった江戸前期の元禄文化とは異なり、庶民でも文学、芸術、芸能を堪能することのできる大衆文化でした。
向島百花園は、この化政文化の時代に造られた庭園です。江戸城から見て、隅田川の向こう岸にあるために向島と呼ばれていたこの地域は、もともと幕臣の多賀氏の領地でした。その多賀氏が滅んだ後、仙台出身の骨董商、佐原鞠塢がこの土地を買い取って造園を始め、文化元年(1,804年)、江戸で活躍していた文人や町人から300種以上の梅の株が寄贈され、向島百花園が開園されました。
開園以降、私営の庭園として、歌川広重二代の東都三十六景「向しま花屋敷七草」にも描かれる江戸の観光名所となります。明治・大正時代には荒廃した時期もあったようですが、昭和8年(1933年)には国の名勝としての指定を受け、その翌年東京市に運営が移されます。しかし1945年の東京大空襲で全焼し、イチョウとタブノキをのぞくほとんどの植物が焼失。戦後、復興を果たすも、空襲による破壊の影響はまぬがれず、1956年に国の名勝としての指定を解除されてしまいます。
しかし、開園から200年後にも往時の景観が残されていることや、貴重な遺構の存在などから、江戸時代から続く花園としての価値が再び評価され、1978年に国の史跡および名勝に再登録されました。
六義園、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園などの、大名によって作られた他の庭園とは異なり、庶民によって作られた庭園として現在まで親しまれ、特に毎年2月から3月にかけてのウメと、9月から10月にかけてのハギの見頃は多くの人で賑わいます。

基本情報

【アクセス】
東武伊勢崎線「東向島」駅から徒歩8分

【開園時間】
9時〜17時(入園は16時30分まで)

【休園日】
年末年始

【入場料】
一般:150円
65歳以上:70円

【地図】

【住所】
東京都墨田区東向島3-18-3

向島百花園の見どころ

向島百花園は、東武伊勢崎線の東向島駅から約徒歩8分のところにあります。趣のある入場口から中へと入ります。

訪れたのは、最高気温36.7℃を記録した真夏のある日。汗だくになりながら歩きました。お客さんは、僕以外に一人だけでした。

スカイツリー完成後の向島百花園といえば、この景色でしょう!

ハギの見頃にはまだ早かったですが、緑一色のトンネルをくぐるのも清々しかったです。

池の淵にはカルガモの姿も。

猛暑の中、色とりどりの花々が立派に咲いています。

園内には、松尾芭蕉をはじめとする29にも及ぶ句碑や石柱が建っています。

この鬱蒼とした感じは、真夏でないと味わえないんじゃないでしょうか。

以上、向島百花園の紹介ページでした。ウメやハギの時期ではなくとも、真夏ならではの花々を見ることができて、見応えのある庭園を堪能することができました。

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