文京区
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江戸時代から現代にいたる水道の歴史を学ぶ!東京都水道歴史館

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お茶の水駅から徒歩8分ほどのところにある東京都水道歴史館を訪れました。江戸時代から現在にわたる東京の水道の歴史を、楽しみながら学ぶことのできる施設でした。

東京都水道歴史観ってどんなところ?

今や世界一安全とも言われる、東京の水道水。その歴史は、徳川家康が命じて開かれた神田上水に始まり、関東大震災や第二次世界大戦のような未曾有の局面を経て、先人たちの努力によって作り上げられたものです。
1995年(平成7年)に東京水道局の運営で開館した東京水道歴史館は、東京のすみずみまで綺麗な水を届けることを可能にした、江戸時代から現在までの水道の歴史を詳しく学ぶことのできる施設です。
館内には水道に関する出土品や、実際に使われていた水道管などが展示されています。特に多摩湖にある村山下第一取水塔の実物大のレプリカと、再現された江戸時代の町並みは必見!展示の充実度だけでなく、視覚でも楽しむことのできる施設になっています。

東京の水道の歴史を簡単にまとめました

1590年(天正18年)、江戸城に入城した徳川家康が、海水の混じった湿地帯が広がっていた江戸の町に飲み水を供給するため、三河の菓子職人であった大久保藤五郎に命じて作らせた神田上水が、東京における上水道の歴史の始まりとされています。この神田上水の整備以降、1654年(承応3年)には玉川上水が、さらに1696年(元禄9年)までに、本所、青山、三田、千川の各上水が整備されました。「江戸の六水道」とよばれるこれらの上水道の開通により、江戸東京に潤沢な水を届ける基礎ができあがりました。
明治維新後、東京の工業化や膨れ上がる人口により、水質の汚染が問題になります。明治政府は、安全な浄水をどこでも手に入れることのできる近代水道の建設を急務と考え、1898年(明治31年)、現在都庁のある西新宿のあたりに淀橋浄水場を建設します。玉川上水の原水を濾過して提供する淀橋浄水場ができたことにより、蛇口をひねればいつでも浄水を得ることが可能になり、東京都民の生活の質の上昇や、防災・防火、伝染病蔓延の抑止に大きな役割を果たすこととなります。
淀橋浄水場は、関東大震災によって住居を失った下町の人々の新宿近辺の居住地としての需要がたかまったことにより、その役割を終えました。
第二次世界大戦後には、高度経済成長による人口増加や工業化に対応するため、相模川や利根川を水源とする浄水場が建設されました。現在では11の浄水場を東京都水道局が管理し、世界でも有数の規模と水質を誇る水道水を提供しています。

東京都水道歴史館の基本情報

【アクセス】
JR中央線・総武線「御茶ノ水駅」御茶ノ水橋口から徒歩8分
東京メトロ丸ノ内線・千代田線「御茶ノ水駅」2番出口から徒歩8分
JR中央・総武線「水道橋駅」東口から徒歩8分
東京メトロ丸ノ内線「本郷三丁目駅」 1番出口から徒歩8分。

【開館時間】
9時30分~17時(入館は16時30分まで)

【入館料】
無料

【休館日】
毎月第4月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌火曜日)

【地図】

【住所】
東京都文京区本郷二丁目7-1

東京都水道歴史館の見どころ

東京都水道歴史館は、お茶の水駅、新お茶の水駅、水道橋駅、本郷三丁目駅などからアクセスすることができます。

エントランスを抜けると、まずは村山貯水池の取水塔が目に入ってきます。日本一美しい取水塔と言われているそうです。

まずは2階からの観覧。こちらは江戸時代における水道の歴史に関する展示になっています。

東京駅の地下工事から出土した江戸時代の樋(とい:神田上水や玉川上水から水を運ぶための木製の管)。上水道からこのような木の樋で、水を引いていたそうです。

上水から樋で引いてきた水を利用する江戸の町が再現されています。

1階は、明治以降の水道の歴史に関する展示です。

明治時代に使われていた水圧計、消火栓、共用全。

馬水槽(馬用の水飲み場)。

鋳鉄管。一番大きいものは直径2.9mもあり、鋳鉄製の水道管の中では日本一の大きさのようです。

博物館の裏手には、東京都水道局が管理する本郷給水所公苑があり、神田上水の石桶が保存されているそうですが、この日は悪天候のため閉鎖されていました。いつかリベンジしようと思います。

ふだん何気なく使っている水道水が、先人たちの血の滲むような知恵と努力によって成し遂げられたものであることを実感することのできる施設でした。以上、東京都水道歴史館の紹介ページでした。

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